【歴史からブランドを読み解く006】18世紀後半〜、広告・パッケージの発達


ブランドで「世界観」を表現する時代へ


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18世紀後半から19世紀の

印刷技術の向上や広告媒体の発展によって、

視覚的なイメージ戦略が本格化していきました。

 

ポスター、新聞広告、商品パッケージに

企業名や商品名をデザインする手法が
誕生します。

 

企業はこの手法で制作した販売促進物で

「認知度」を高めていきました。

 

特に印刷技術の進歩によって広告は

大量かつ迅速に印刷できるようになります。

 

これが企業の広告費を増加させ、

ポスターや新聞広告の普及が
急速に進んだのです。

 

同時に、商品パッケージも
単なる容器としての役割を超えて、

ブランドの世界観や商品の魅力を伝える
重要な媒体として発展していきました。

 1875年、イギリスで商標法が制定されました。

 

 この制度により、企業は商標を戦略的に使用し、

 一貫したメッセージを消費者に伝えることで

 ブランド価値を高めることが可能となりました。

 

 この仕組みは世界中に広がります。

 「商標は自社製品を守り、
 消費者に信頼を与えるもの」

 というブランドの基本概念を定着させました。

 

 日本も1884年に初の商標法である
「商標条例」を制定し、

 ブランド保護の制度を導入しました。

 

  一方、

 産業革命の影響で大量生産品が広がる中

 「職人による手仕事の美しさを取り戻すべきだ」

 という批判が高まりました。

その中心にいたのが、
イギリスのデザイナーであり

思想家のウィリアム・モリスです。

 

彼が主導した
「アーツ・アンド・クラフツ運動」は、

大量生産による安価で粗悪な商品が
生活を埋め尽くすことを批判し、

芸術と実用性を統一することを目指しました。

 

モリスの理念は、
次のような価値観を生み出しました。

 

”美しいデザインは特権階級だけでなく
 庶民の暮らしにも必要である”

 

 

 

日本でも1934年に

美術評論家の柳宗悦(やなぎ むねよし)が

「民芸運動」を立ち上げます。

 

彼は「生活と芸術の統一」を思想の中心に据え、

庶民の暮らしの中から生まれた手仕事の美しさ
を評価しました。

その理念は、生活の中に美を見出し、

社会全体へ広めることを目指したものでした。